昭和41年09月15日 夜の御理解



 神様に私共がうち向こうて来る一心、しかもそれが一心で向こうて来る時に、その一心が神様へ通うという事、やはり度々の体験によって、自分のものにしていく。神様が聞ききとって取って下さるんだと言う様な事を、確信して参りませんと、おかげにもなりませんし、また信心頂くね、楽しみも喜びも半減致します。こうやってお願いしとるんだけど、お参りよるんだけど、このお参りが何かの役に立っておるだろうか。
 このお参りが、はたして神様が、みご、見て頂いてるじゃろうかと、自分はこんなに修行させてもらいよるとを、神様は聞き届けておって下さるだろうかと言う様なのでは、やっぱり興がない。今日、熊本の日奈久教会の富永先生が丁度一月ぶりでお礼に出てみえられました。丁度一月前に、自分の体の事もあの、害して御座いましたから、体の方も大変おかげを頂いております。これはもう大変な、まあ大体この世にもう生きておるという事の方が不思議なくらいな病気をたくさん持っておられる先生なんです。
 もうおかげを頂かれると同時に、この前のお参りの時に、御信者さんの中に大きな鉄工所がある。その色んな農機具を発明される、いろいろな新しい発明をしていかれる。今度も何か、田植えを、の、こう、自動田植え機か、何かそういうものを、もうとにかく農機具の発明の事でございましたんですけれど、もうそれが長年そんな事に取り組んでおられるんですけれども、どうしてもその本当のものができあがらない。その奥さんが熱心に参って来るわけですね、ご主人は参ってこない。
 そしてその事を、奥さんからお届けがあっておりましたから、もう、その経費だけでもずいぶんつっこんでおるわけなんですよね。どうでもここで一つ、出来そうで出来ない。ほいで、その事のお願いでございました。して、お願いをされまして、帰られましたらもう早速のようにですね、今まで元気に働いておったその鉄工所の主人というのが、手足がなえて体が動かんごとなってしまった。
 それでその事を今度は奥さんがまたすぐお願いに出てこられた。はあやっぱりご主人にも、神様におすがりするように、機械の事だけならもう自分の知恵や力で出来ると、けどもその、自分の知恵やら力のもう、この頃は、行き詰っておられる。そこで、ならそれを成すにもまず体がなからなきゃいけん、元気がなからなければできんのに、体がなえたんではできんから、とにかくあの、導いて参ってきなさいというてその、ご主人を連れて参って来た。それから、まあ、しげしげと参って来るようになった。
 そうしましたらですね、その、朝方お夢を、その、本人が頂いた。二時間にわたってお夢を頂いた。それがですね、ただヒントぐらいの事じゃなくてから、もう一番始めから最後までですね、機械の一つ一つの部分品の事まで頂いた。それが、おかげで成就したという今日御礼お届けに参られたんです。まあいうなら本当に富永先生の話を聞かなければ嘘のような話。そしてその後にです、そのご主人が、銀行の方も、もう体の方もそれこそけろっとしたように治ってしもうておられるという事。
 まあその中からね、今日私が言うところを感じ、分かって頂きたいと思うんです。今日私、ヒゲを散髪してもらって、ヒゲをあたってもらって、もうヒゲをあたってもらう時にはね、長くなって寝るもんです、あのたいてい辛抱しておるけれども眠ってしまうんですね。で茂さんもう剃ってしもうてから、あの下へお湯を汲みに、二階でしてもらっておりましたから、そん時にちょうど、福岡の中村さんのところの恵美子さんですかね、
 北さんと言いますが、北さんと、小倉から参って来る中村という方と、二人がここで丁度お参りし合わせて、とにかくもう親先生にここに、遠方から参ってきとるもんですから、ちょっとお目にかからなければというのでその、ちょうど茂さんが下にお湯を汲みに行った時に二人が二階に上がって見えたんだそうです。それもあんまりぐっすり熟睡しておられるもんだから、その起こしきらんじゃった。
 それで枕元に座ってまあ私の寝顔を見おったんでしょうね。起こしたら(?)まあこれ、ところがですね、私がもう大きな声でもうその、大きな声で笑うんだそうです。して、私もまた何か知らんけれどもおもしろいおもしろいお夢を頂いてるんです。ああおかしかった、おかしかったと言うて目が覚めとる。はあ親先生が起きなさったというてから二人が喜んでおるんです。
 しかし、こういう事から考えてもですね、例えば一心にっていやあ、神様が私を、してその、さめてしもうてからですね、もうえらい面白い夢だったけれどいっちょん覚えとらんです。ただ私をおもしろくすぐるようにして起こされたという事が感じられますですね。二人の婦人の一心なんです、これが。ほいでもうまま上がってきてから、あのー、久保山さんがびっくりおります。
 もう先生があげん熟睡されたつを、この人達あつかましゅうしたっちゃろう、その揺り起こしたっちゃろうっちその、茂さんが後から言いよります。いいやそげなんことじゃなかったい、こげなん事じゃったと。そげな事でしたと言うてその、茂さんも有り難い事ですねと言うて、言うておりましたけれどですね。一心というものがね、そういう風に神様を通して私を、いわばくすぐるようにして揺り起こして下さる。という感じでしょうが。同時にここに分からなければならん事はですね。
 特別なおかげを頂くときですね、神様はまず成程、先に修行を求め給うなあという事を感じますですね。婦人の一人の信心の時にはどうもできなかった、分からなかったその機械のことがです、主人があなたもどうでんこうでんお参りしなさいと、というだけじゃあんまりできなかったんだけれども、本当にこう手足がなえてそもうたら、やはり参らんわけにはいけなくなったわけです。
 そしたら早速、お夢の中に、もう始めから最後まで、ただヒントというようなこっちゃあない、もう私がヒントを得られてできたんだろうとこう思うておった。いいや先生、ヒントどころじゃありません、もう一番始めから最後まで、二時間にもわたってからお夢をいただいておる。しかも部分品の事まで頂いておる。もう恐れ入ってしまいます、といって今日富永先生が言うておられます。
 そこにですそういうおかげを下さる前に、まず修行を求めておられるという事。本人の信心を神に向けさせておられるという事、そこに神様の働きがあるという事を感じますですね。心が神様へ向かわなければいけない。しかも一心に福岡小倉から参って来た。それでも先生にお会いしてせんで帰るなんてんもう、そのまあいうなら参った甲斐のないいうような思いでその、あつかましいと思われたんでしょうけれども、他にお参りのあったらしいんですけれども、もう二人は話し合って二人で二階に上がってきた。
 枕元へ座ったら、ほんのだからちょっとの間なんですよね。茂さんは、お湯汲みに降りる、二人は上がってこられる、その間なんです。もう私は、もうその、夢ん中でもう声上げて笑いよるそうですもん。先生でも何がおかしい事がありなさるじゃろうかというて笑いなさる。してああおかしいおかしいで、目が覚めた。
 そして、その夢の、事がどういう事だったかも私は覚えんでから、ただ、神様が二人の婦人の一心をもって、思われる、祈られるところにです。神様は私、夢の中にこそぐるようにして揺り動かす、起こしござるという事を感じますでしょうが。そういうようにです、私どもの一心というのは神様に通うているんだと、それは形にはあらわれてはいなくてもです、ね、どこの端にか、例えば一端でも無駄にはさせんと仰る神様ですから。
 そこん所をお互いが信じ、いわゆる確信させてもろうてから、神様へ向こうてくると。そして、おかげを頂く前にはまず神様が、いうならばお試しとでも言おうか、または、修行とでも言おうか、ね、その修行を求め給うという事が分かります。どうぞ、おかげというのはそういう一つの、道すがらと言うかね、経路を辿ってのやはりおかげです。ただ、置いた物を取るような、というような、わけには参りません、この神様は。
 やはりその、おかげにはおかげの引当がいる。どこまでもそれが高度な信心にならなければならない事はもちろんですけれども、初めの間は分かりませんからね、それでも神様が、その、分からせてくださろうとする働きがです、私どもがその気になっとかんと、お気付けをお気付けとも気付かない。ね、神様が修行させてくださっておるんだなとも分からない。ね、それを分かってそれに答えていくところの信心が必要と思うですね。      どうぞ。